2005年 09月 02日
#49 生命散って |
グリプス2(コロニーレーザー)を有するエゥーゴ艦隊に、ティターンズとアクシズの総攻撃がはじまる。三つ巴の激しい攻防の中、ヘンケンとカツがヤザン隊との戦いで戦死し、カミーユはそのヤザンと宿敵ジェリドをついに撃破する。そして、ついに対決するエマとレコア、ふたりの女戦士。ふたりの機体は刺し違え、レコアは自分を裏切り続けた男たちに呪詛の言葉を遺して、死ぬ。エマもまた瀕死の重傷を負うが、そんな彼女をカミーユのΖガンダムが回収する。「よくも見つけてくれて……」最終決戦の最中、エマは残る力でカミーユに何かを言い遺そうとしていた。
▼解説
『ΖΖ』を睨んだ在庫一層セールの如く、ひたすら登場人物が戦死していく49話。カツのショボい死に方(前方不注意で隕石に激突)は、まあ分相応なのでいいとして、ジェリド、ヘンケン、レコアと主要登場人物がここでゴッソリと退場することになる。特にジェリドはマウアーを失ってからというもの、ロクな描写もないままにただ、ことあるごとに「カミーユ、貴様!」みたいなことを叫んで暴れまわる人になっていたのだが、この49話で忘れた頃に現れて、あっさり死んでいく。これはほぼ完全に在庫一層セールと考えてよいだろう。劇中における彼の役目は、もうとっくに終わっていて、あとは死んでいくだけだったのだ。
その反面、エマとレコアの最期はここで綺麗に完結している。女であることに怯えるように生きてきたエマと、女でありすぎたレコアが、ここで対決し、そして刺し違える。ティターンズ側についてからというもの、ことあるごとに自分の生き方について自信満々に語ってきたレコアの口から最後に出たのは、なんと自分が散々依存しようとしてきた男という性への「絶望」だった。そう、レコアの「私は今、女としてとても充足しているの」などの一連の発言は、実は自分の刹那的な生き方を無理やり自分に「間違っていない」と言い聞かせるためのものだったのだろう。
同じ女性であるファを共感させたり、比較的レコア優位に進んでいたふたりの関係は、この瞬間に逆転する。女でありすぎたために、依存症の罠に陥ってしまったレコアよりも、生真面目で不器用な主義者であるエマの方が、自分の足でしっかりと立つ、ひとつの「個」としてはずっとリードしていたのだ。そして、ここからが重要なのだが、最終的にカミーユを護り導く母性を身につけるのはエマの方なのだ。
これは、後に富野ヒロインが母親系(比較的男性に対する依存度が低いが、その代わり自分にとって大事な人間を、自分の中に取り込んで、閉じ込めてしまおうとエゴイスティックに肥大していく母性をもつ)と、少女系(男に対する依存気質が極度に強く、相手の男に満足できないがためにイライラしがちになる)の2パターンに別れ、やがて『∀ガンダム』のディアナ・ソレル(キエル・ハイム)でひとつに統合されていく経緯を考えると非常に興味深い。ちなみに前者の代表例は『Vガンダム』のシャクティ、『ブレンパワード』のヒメ、『ガイア・ギア』のエヴァリーなどで、後者はカテジナ、クインシィ、クリシュナ・パンデントなどが挙げられる。
あまり注目されないが、エマとレコアの対立は、後の富野作品を大きく規定する対立構造につながっていくのだ。
そして、この49話の在庫一層セールを経て、色んな意味で伝説的な(笑)あの最終回へと物語は進んでいく……。
▼解説
『ΖΖ』を睨んだ在庫一層セールの如く、ひたすら登場人物が戦死していく49話。カツのショボい死に方(前方不注意で隕石に激突)は、まあ分相応なのでいいとして、ジェリド、ヘンケン、レコアと主要登場人物がここでゴッソリと退場することになる。特にジェリドはマウアーを失ってからというもの、ロクな描写もないままにただ、ことあるごとに「カミーユ、貴様!」みたいなことを叫んで暴れまわる人になっていたのだが、この49話で忘れた頃に現れて、あっさり死んでいく。これはほぼ完全に在庫一層セールと考えてよいだろう。劇中における彼の役目は、もうとっくに終わっていて、あとは死んでいくだけだったのだ。
その反面、エマとレコアの最期はここで綺麗に完結している。女であることに怯えるように生きてきたエマと、女でありすぎたレコアが、ここで対決し、そして刺し違える。ティターンズ側についてからというもの、ことあるごとに自分の生き方について自信満々に語ってきたレコアの口から最後に出たのは、なんと自分が散々依存しようとしてきた男という性への「絶望」だった。そう、レコアの「私は今、女としてとても充足しているの」などの一連の発言は、実は自分の刹那的な生き方を無理やり自分に「間違っていない」と言い聞かせるためのものだったのだろう。
同じ女性であるファを共感させたり、比較的レコア優位に進んでいたふたりの関係は、この瞬間に逆転する。女でありすぎたために、依存症の罠に陥ってしまったレコアよりも、生真面目で不器用な主義者であるエマの方が、自分の足でしっかりと立つ、ひとつの「個」としてはずっとリードしていたのだ。そして、ここからが重要なのだが、最終的にカミーユを護り導く母性を身につけるのはエマの方なのだ。
これは、後に富野ヒロインが母親系(比較的男性に対する依存度が低いが、その代わり自分にとって大事な人間を、自分の中に取り込んで、閉じ込めてしまおうとエゴイスティックに肥大していく母性をもつ)と、少女系(男に対する依存気質が極度に強く、相手の男に満足できないがためにイライラしがちになる)の2パターンに別れ、やがて『∀ガンダム』のディアナ・ソレル(キエル・ハイム)でひとつに統合されていく経緯を考えると非常に興味深い。ちなみに前者の代表例は『Vガンダム』のシャクティ、『ブレンパワード』のヒメ、『ガイア・ギア』のエヴァリーなどで、後者はカテジナ、クインシィ、クリシュナ・パンデントなどが挙げられる。
あまり注目されないが、エマとレコアの対立は、後の富野作品を大きく規定する対立構造につながっていくのだ。
そして、この49話の在庫一層セールを経て、色んな意味で伝説的な(笑)あの最終回へと物語は進んでいく……。
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by zgundam2nd
| 2005-09-02 23:32